レボソ:メキシコ女性に寄り添ってきた友

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マリア・デラクルス・ラバルテ・リオス

中南米の女性をやさしく包むRebozo(レボソ)という衣をご存知でしょうか?このレボソはメキシコの様々な地域で一般的に女性に使用されている衣です。同様の衣がいくつかの地域、ニューメキシコから中南米、南米まで存在し中南米・南米の女性たちのファッションに欠かせないものとなっています。

原料は主に木綿の糸(シルク、羊毛またはレーヨン製のものもある)で作られた長方形の生地で、レボソ職人たちはそれらを「ラ テラ(ファブリック)」や「エル パニョ(タペストリー)」などと呼んでいます。その布は縞模様、ストライプ模様、無地等、様々な種類の織り合わせをすることができます。布の端は糸を長く残し、糸同士を結びつけるかインターロックで仕上げられ、最終的にフリンジのようになります。この部分はpunta(プンタ)またはrepacejo(レパセホ)と名付けられています。いくつかの地域では布の上か色とりどりの刺繍を施しているものもあります。

レボソは複雑な中南米文化を反映し、プレヒスパニックの習慣と技術、スペインの服飾、そして海を越えた中国のナオの影響が混ざり合ったものなのです。それは16世紀の終わり頃にヌエバ・エスパーニャで「rebozo」としてこの衣が定義され、地域によって異なる名称がありますが、一般的に使われるようになりました。

もう少し詳しい話をしますと、時は16世紀。メキシコはヌエバ・エスパーニャの時代、その時代の女性たちはつつましさを強要され、人前での顔や肌の露出を禁じられたためにこの衣が生まれたと主張する人たちもいますが、女性が自身の優美さと、そして美へのこだわりで身体に適応した布を使用していたともいわれており、メキシコのレボソは実用的なものとして、雨や風から身を守り、子供や物を運ぶと時に活用されたのでした。

19世紀のレボソはすでに一般化された女性の服装の一部であり、メキシコの風景の中に溶け込んでいました。半面、これだけ一般化されたレボソは、なぜか外国人には振り向かれることは少なく、その時代にメキシコを旅した旅行記や紀行文は数多くあるのですが、レボソについての言及はほとんどないのです。

革命後の20世紀はレボソにとって大きな変化がありました。全国で広まった革命運動時にこのレボソはメキシコ人民の表すアイテムの一つとして重要視され、様々な式典やイベントでの着用が推奨されました。またチャレリア(メキシコ版ロデオ)の能力を競う試合に参加する女性たちは必ず着用するよう義務付けられ、まさにレボソがメキシコ女性を現すイメージとなったのです。

それとともに、レボソ自身がメキシコを表現するためのシンボルとして、メキシコの芸術や工芸に活用され、ポピュラーソングや詩にうたわれ、演劇や映画の場面、そして商業広告などに登場しました。

そして現代、あれほどメキシコの女性を飾っていたレボソは時代とともに消えてゆき、現在は一部の農村地域でしか使われておらず、若い世代には興味を持たれなくなってしまったのが現状です。

レボソの製作技術に関しては、時代とともに技術が発達し、それらの技は職人が受け継いでいます。最高級のレボソは特にその製織プロセスは複雑なものです。現在ではこの仕事は一部の地方でしか残っておらず、生活の中でレボソを使用している女性たちのいる農村地域や村で引き続き存続させようとしているところです。しかしながらその代わりに、美しいレボソは、その使用が見直され、再び用いようとされている場所で市場を開拓しています。その精密な織り作業、その美しさと価値は高く評価されています。

製織は一般的な製織職人の作業用具となっていたスタンディング織機(スペイン語ではペダルまたは織り機と呼ばれる)で行われてきました。また、いくつかの地域ではプレヒスパニックの起源を持つ腰織機で行われてきました。レボソは模様を織り込むことができますが、そのためには少なくとも作図能力が求められ、製織職人には例えば、稲妻、ダイヤモンド、縞といった異なったタイプの模様を形成するように横糸と縦糸を追っていくことが求められます。多くの図案が複雑に配置される非常高度な技術を要するのです。ジャスペやイカットといった技術はメキシコの様々な地域で一般的に普及しています。一方で、模様のないレボソはチャリナと呼ばれます。

レオン、バジェデサンティアゴ、サラマンカ、モロレオン、セラヤ、サンミゲルエルグランデ、アカンバロなど中央メキシコでは、かつてはレボソが作られました。サンルイスポトシ州のサンタマリアデルリオの町は現在でも継続してレボソが作られていることで有名で、そのシルクのレボソは高く評価されています。ミチョアカン州にあるラピエダでは今でも製織を仕事としている家族が数件存在しているために、地元ではこれらの産業を活気づけ、製品を軌道に乗せるためのサポートプログラムを実施しています。ミチョアカン州のサモラ市はそのレボソで有名でしたし、ハリスコ州のグアダラハラはレボソ職人の傑出した中心地として際立っていました。その他にも、プエブラ州ではプエブラ市は織物の中心地として際立っており、レボソ生産としては傑出していて、チョルラで作られたレボソは有名でした。テクスカラ、ミチョアカン、オアハカ、チアパスは異なる場所の地元の人々による様々な種類のレボソを製織しています。コアウィラ州では数多くの織機が機能していました。現在ではサンタマリアデルリオの地域、そしてテナンシンゴで最高級のレボソが織られています。

レボゾは 使用目的に応じて、また何千もの異なった体型にフィットしつつ、女性たちの不安、悲しみ、喜びなど、非常に多くの女性たちの人生の過程に寄り添ってきました。母親はレボソを用いて子供を包みそのまま背中におんぶすることも出来、そうして両手が自由になり仕事や移動がしやすくなります。農村部の女性たちは、レボソに収穫物やたき火のための薪などを包み運ぶことも出来ました。レボソは婚約の締結にも使用でき、新しいものは結婚式の希望をもたらし、その後も様々な状況で、亡くなった人の身体を覆うためにも、レボソは用いられてきました。

レボソは身につけている女性たちの忠実な盟友、そしてどこで何をするときにも女性たちを輝かせるものなのです。

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