シャトルのように速く 今、大注目のバドミントン

 -  - 


アナ・ラウラ・デ・ラ・トーレ・サーベドラ

バドミントンの原型は、アジア大陸の様々な地域に遥か昔からありました。中国、日本、韓国などのアジア諸国では、武術や宗教的な性格を帯びるものもあれば、娯楽として楽しまれました。

バドミントンの歴史の有力説として、19世紀に「プーナ」というインドの球技をイギリス兵が本国に持ち帰ったというものでしょう。イギリスでプーナが最初に行われ、様々なスポーツが盛んに行われていたバドミントン伯爵領に因み、このスポーツを「バドミントン」と名付けたのです。バドミントンもテニスと同じく当時は求愛のスポーツ、つまり、知り合って健全に体を動かす、男女が一緒に楽しめるスポーツだったのです。

イギリスから他国へと普及したバドミントンが、メキシコにいつ上陸したのでしょうか。正確に答えることは困難です。それに関する情報が個人の蔵書や新聞のアーカイブに散逸しているからです。筆者が発見したメキシコシティで行われたバドミントンの最初の記録は1930年代のものです。

当時、競技を行っていた様々なスポーツ団体を集結させる目的で1933年に「メキシコ・スポーツ連盟」が結成されます。連盟加盟者の中にバドミントンの代表者として名を連ねている者もいたので、少なくとも定期的に競技していた小さい団体が存在していたことがわかります。また、ある情報によれば、最初にバドミントン競技が行われたのは1932年で、スポーツが大好きなスペイン人コミュニティの自宅で行われたとのことです。ただ、そこがメキシコのバドミントン史上に残る初のシャトルショットだったとは断定できません。

おそらく、YMCA(キリスト教青年会)のメンバーがパイオニアであったと思われます。世界中で体育教育を普及させていたYMCAがメキシコで発足したのは1902年。メキシコ人から「Y」の愛称で親しまれているYMCAは、1910年以降にバドミントンで遊ぶ条件が整った近代的なビルを所有しています。彼らメンバーはメキシコで様々なスポーツを奨励し、各競技種目の全国大会や国際大会の企画を援助し、メキシコ革命後の政府と協力して体育教育普及に尽力しました。YMCAの年報によると、30年代に同会施設内でバドミントンを行ったようです。屋内や野外で行われ、各クラスに分かれた大会が開催されていました。競技者の大多数は男性であったと思われます。

読んでおわかりの通り1930年代は、バドミントンにとって飛躍の年代と言えるでしょう。その飛躍に更に弾みをつけたのが競技環境の整備です。30年代後半には現在でも使用されている公共スポーツ施設がいくつか建設され、その中でも群を抜くのが総合スポーツ施設「Plan Sexenal」です。その建設の計画段階から競技用コートが用意され、1938年の施設落成式ではエキシビションまで行われました。当時の人気のほどを窺い知るには難しいですが、バドミントンが政府が推奨するスポーツの一角であったことは注目に値します。もうひとつ、興味深い話が残っています。1939年に体育教育科自治学校の校長が、バドミントンやバレーボールなどのこれから成長するであろうスポーツ用のネットを作る仕事に従事すればよいと、ミチョアカンの漁民たちに提案していました。

その後、数十年に渡ってバドミントンはYMCAなどの団体に奨励され、やがて他の幾つかのクラブでも行われるようになり、その競技者数を増やしていきます。60年代初頭には、チャプルテペックのスポーツセンター施設内にバドミントンの競技用コートが完成します。そこはメキシコのバドミントンの重要な発信基地となり、地域レベル、国際レベルの試合が開催され、世界有数の選手たちが華麗な腕前を披露しました。そして国内チャンピオンたちの大半は、ここで専門のトレーニングを受けています。

競技者数を伸ばしつつも20世紀中のメキシコにおけるバドミントンの地位は、スポーツ新聞が小さく取り上げる程度。つまり、メキシコシティのみで行われるマイナースポーツとして扱われてきました。最近、メディアによく目にすることになった理由は、1992年のバルセロナオリンピックから正式種目として採用されたからでしょう。特筆に値するのは、そんなマイナースポーツであったにも係わらず、国際レベルで活躍する選手たちを生み出し、彼らが中央アメリカ大会やパンアメリカン大会などの大きな大会でメダルを獲得して世界ランキングに入っていることです。バドミントンがオリンピック種目に採用されると、その中でも優秀な選手はオリンピック出場の栄誉に輝いています。現在、そのような流れから競技人口と専用コートの数が爆発的に増加し始めました。そのため国内での競争が激化し、大きなレベルアップがはっきりと見られます。

21世紀初頭、メキシコシティにバドミントンのクラブが発足しました。近い将来、国内の他の都市にもクラブが誕生するでしょう。今日、国内選手に要求されるのは、世界トップレベルのスピードと技術の高さです。激しさと興奮を増し続けるスポーツとなったメキシコのバドミントンは、ショットで放たれたシャトルのような速さで成長し、もはや庭園で行われる「求愛」スポーツの影すら感じさせません。

bookmark icon