愛すべきレスラーたち ルチャリブレの哲学

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エドゥアルド・エルナンデス

友人であるマスクマン、エ ル・ソリタリオへ 敬意を こめて

ルチャリブレはメキシコで最も人気のある エンターテイメントのひとつです。国民的ス ポーツのサッカーに次ぐ人気を誇り、商業 的な成功も収めています。エンターテイメン トとしてリング上で壮大な喜劇を繰り広げ るルチャリブレは、教養ある層からも好意 的に受け止められ、その人気は老若男女や 社会階層の枠を超えて広がっています。大 学の研究対象にもなり、大衆文学、子供の おもちゃ、広告、映画、テレビドラマなど幅 広くマーケットを開拓しています。

喜劇、サーカス、スポーツ、アートの集合体 であるルチャリブレは、非の打ち所も無い 完全な正しさから生まれた規範とそれに従 うことを拒み、犯されまいとする反抗から 生まれる違反、そんなメキシコ人の根底に ある渇望と欲望を突き動かします。

サッカーの場合、全てのルールや競技の規 範は、あらかじめプロフェッショナルな運営 を行うための国際組織のものがあり、その 承認の下であらゆることが動きます。それ に対してルチャリブレは、自立を尊重する 背景の下で、各組織団体がルールや経済基 盤を作ってきました。外部組織が強制する 規則に従わなくてもよいということは、何と も素晴らしいことでメキシコらしいとも言え るでしょう。

極めて危険なスポーツである にも関わらず、干渉してくる国際委員会もな く、医療や安全面、労働条件の基本ルール の順守をチェックするものもありません。 規範に縛られ、もし会場で「Puto! (おかま 野郎!)」などの卑猥な言葉を禁止すれば、 観客は一人もいなくなるでしょう。

もし最高 の興奮とストレスを最大限に発散させてく れる言葉「Chinga a tu madre! (マザー・フ ァッカー)」を禁止すれば、それこそ会場に 誰も足を運びません。 大規模なコメディとも見えるこのスポーツ は、レスリングから派生しました。

しかし、そ れは単なる派生であり、ルチャリブレの観 客にオリンピックスタイルのレスリングを見 せても、おそらく退屈してしまうでしょう。 つまりルチャリブレは、オリンピックや日本 の相撲など、高度に組織化されたスポーツ と同じ土俵で語ることはできません。ただ、 日本のプロレスからは影響を受けており、 またアメリカのプロレスともある意味で類 似性を持っています。

暴力や服従させるた めの手段としての力、ライバル設定、筋肉へ の憧憬、ドラマチックな演出などが共通点愛すべきレスラーたち ルチャリブレの哲学として挙げられるでしょう。しかし、ルチャ リブレはそれだけでなくプラス、度を越し た攻撃などからカタルシスを湧き起こす過 剰な暴力、リアリティある死への連想が挙 げられます。

最も興味深い点は、どこのプロレスでも大 概レスラーはヒール(悪玉)とベビーフェイ ス(善玉)に分かれます。ヒールは暗黙の了 解でルール違反、無視の戦術を使うことが できます。ベビーフェイスはルールを順守し て闘わなければなりません。通常のプロレ スは、どんなにヒールから反則を受けても、 それを耐え忍び最後はベビーフェイスが劇 的に勝つ姿を見て、観客は正義への恍惚感 に浸り、盛り上がるものです。

しかし、ここ からメキシコ人の風潮とでも言うのでしょ うか、理解されるのが少し難しいかもしれ ませんが、ルールを破った者でも人生の成 功を手にすることができるという感覚を与 えるのもルチャリブレの人気の所以なので す。 このような感覚は、メキシコ人に無意識的 に染み付いています。フロイトが明快に示す ように、私たちを真に幸福にしてくれるもの は幼児期の欲望の達成です。

もしそれを達 成するのが難しいのであれば、悪事を働い てもでも・・・その報いを受けず手にするこ とができればという誘惑です。観客がルチ ャリブレに求めていることは、実際全ての メキシコ人が子供の頃から内密に切望して いる、心のどこかで持っている渇望の解放 による快感と浄化なのです。

そのような背景を背負った世の中で、ルチ ャリブレの人気の根底には、全てのレベル において規範と管理を破壊することにあり ます。ヒールが隠し持っていた凶器でベビ ーフェイスの額を割ったり、レフリーがお気 に入りのレスラーの反則行為を見逃して贔 屓したり、耐えかねたベビーフェイスがヒー ルに変わったりと、レスラーから医者、指導 者、レフリーに至るまで規範を破壊するこ とを見る、まさに転落や悲劇を楽しむので す。

コメディタッチにも思えるダイナミック な演出でインスタントなトラジックがリング の上で繰り広げられることで見る者の情緒 が揺さぶられる、これこそがルチャリブレの 魅力でもあるのです。

ルチャリブレが引き起こすカタルシスは、 激しく感情的なものですが、サッカーなど ファン同士が激しく対立するスポーツに比 べ、観客の間には暴動は起こりません。観 客はレスラーを煽り立てたり、自分たちの間 で荒っぽいことを言い合ったりしますが、暴徒と化すようなことはありません。

目の前 でレスラーが展開するのはリアルな暴力に もかかわらず、沸き起こるカタルシスは、観 客の攻撃的な衝動を満たし続けているの です。 内なるものも過激なルチャリブレは、実際 にパワーと耐久力が求められるスポーツ で、特に絞め技や抑え技では相手の動きを 抑えるため、力だけでなく技術も必要とさ れます。

また、ロープやポストを使った目にも刺激的 でアクロバティックな空中殺法、リング外で の過激な乱闘、リングの下にいる相手を攻 撃する技の一部は日本から逆輸入したもの もあります。そんな技が繰り出される中で も多くの人がする質問することは「これは 全部本当なのか?」「嘘じゃないのか」とい うものです。

ルチャリブレのレスラーは本物 のスポーツ選手であり、プロとして全身全霊 でジムでトレーニングに励みます。そうでな ければ、リング上の激しい環境の中で生き 残れないでしょう。

その反面、引退後の将 来も考えず、今の激しい環境での生き残り だけを考え、健康への細心の注意を怠り、 肥満や中毒、薬による安易な肉体及び精神 増強に走りやすいのです。

一般の人々より 医者やカウンセラーに依存する傾向が高い のも現実です。そして会場であるリングを取 り巻く労働環境も嘆かわしいほど酷いもの です。会場では常に緊急医療のスタンバイ をしなければなりませんが、つい最近エル・ イホ・デル・ペロ・アグアージョがリング上 で死んだ時は、誰もその死に気づかずショ ーは続けられていました。しばらくしてやっ とその異変に気が付き、その後急いで病院 に搬送する事態になっても会場に担架がな く、しびれを切らした友人のレスラーが扉を 外して、その上にもう生気のないアグアージ ョの体を乗せたほどです。

リング上で世の 中を映し出すレスラーたちを取り巻く環境 は、文字通り悲劇です。 そんなルチャリブレも日々進まなくてはな りません。その中心にいるのが、主役たる メインアクターでしょう。主役になるには様 々な資質が求められます。まず基本的な技 を習得するための体力と精神力が必要で す。

また、ルチャリブレの持ち味でもある旋 回や宙返り、空中殺法などのアクロバティックな技を可能にする身体能力も求められま す。 その上、観客を盛り上げることのできる役 者にもならなければいけません。主役級の レスラーは観客とのコミュニケーションに 長け、観客の怒りやユーモアをうまく感じ、 時にはルールを超えて何が公正で正当なの かを判断しながら、リングの上で演じなけ ればならないのです。

時にルチャリブレで は、社会から疎外された人、女性、ゲイなど も主役として正当な扱いを受けることもあ るのです。 そのように空気を読み、空気を作り出しな がら、そこにわかりやすいヒーローとアンチ ヒーローの構図をはめ込み、観客に見せ続 けるとても賢いやり方でファンの拡大に成 功し、ルチャリブレは定着しました。

その証 拠にエル・サント、エル・ウラカン、エル・ペ ロ、オクタゴンなどの人気レスラーは、グア ダルーペの聖母、マリンチェ、フリーダ、テ オティワカンなどと同じく、メキシコの象徴 として存在するレベルまでになりました。

そしてルチャリブレで最も重要な役割を持 つ者は、「エル・レスペタブレ【el Respetable 】(敬意に値する人)」と呼ばれる観客自 身です。エル・レスペタブレは、この超近代 芸術とも呼べるルチャリブレの持つ意味深 いニーズに、即興的な答えや意味を求め、そ れに歓声や罵声で答えます。それがルチャ リブレ自体に活気を与え、見る者を裏切ら ない、真のリアリティだけが奏でられるエ ンターテイメントとして、人々の心を揺さぶ るのです。

エル・レスペタブレは、リング上 のアーティストであるレスラーの表現をさら に熱く発奮させる、欠かせないものなので す。 アングロサクソンの大衆社会がコミックヒ ーローを熱心に信奉しているように、メキ シコ人もルチャリブレの覆面レスラーや魔 術師レスラーという新たな神々を手にしま した。

メキシコの父なる神であるケツァル コアトルは、酒に酔い妹と肉体関係をもつ という禁断の過ちを犯し、民衆の前からい なくなってしまいました。その時からメキシ コ人は孤児となりましたが、現在はルチャ リブレの神々を新たな父なる守護神として 信奉しているのです。

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