グアダルーペの聖母 先住民族とキリスト教の融合

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bajio新聞編集部

アメリカ大陸の発見後、1521年のスペイン によるメキシコ先住民族の征服。その後2 年間の混乱と融合を経て、植民地化のプ ロセスは精神的な隷属の段階に入り、ス ペイン人たちは数千もの先住民の人々を カトリックに改宗させていきました。スペイン人たちが利用した方法の一つ は、先住民族の神々をカトリックの教義 の重要な役割に変え、先住民の寺院の 上にキリスト教の教会を建設することで した。それまでの古代の土着宗教はとても寛 容で、もし、その都市が戦いに敗れた場 合、征服者が信仰する宗教を受け入れる ほど、外からの影響を受け入れてきまし た。それは新しい神々と古い神々との置 換や混ぜ合わせではありません。そのよ うな先住民たちにカトリックの司祭たち は、キリスト教の本質を説く事は非常に 困難であると考え、彼らは二つの宗教の 類似性を説いていきました。神の子イエ ス、彼の母である聖母マリアは先住民の 神々に加えられていきます。古代アステ カ文明の母なる地球の化身トナンツィン (Tonantzin)信仰は、聖母マリアと融合 しました。聖母の化身の表現は数百もありますが、 同じ神性を異なる特性で崇めています。その中で最も尊敬され、重要視されてい るのがグアダルーペの聖母です。メキシ コ人でも「褐色の肌の聖母」と呼んでいる この聖母信仰の話を耳にしておかなけれ ば、メキシコ文化は理解できません。グアダルーペの聖母がメキシコシティの テペヤックの丘(Tepeyac)で、ホアン・デ ィエゴ(Juan Diego)という若い先住民 の男の前に1531年の12月9日から12日の 間に4回現れました。聖母は彼に、彼女の 名においてここに教会を建てるように求 めました。ホアン・ディエゴはこの話を司 祭たちに伝えましたが、彼らは信用しませ ん。ホアン・ディエゴは聖母の要求に応 え、ブランケットにバラの花束を包み、ス ペインの司祭たちのもとへ再び行きまし た。そして、彼らの目の前で広げられたブ ランケットから聖母の姿が奇跡的に現れ ました。その後、その奇跡の場所には教 会が建てられ、今日では聖母の姿が映る ブランケットは、メキシコシティにあるグ アダルーペ寺院に収められています。聖母が現れた最後の日である12月12日 は、メキシコのカトリック教徒にとっても っとも重要な休日です。毎年多くの巡礼 者たちがすべてのメキシコ人の母、聖母 を讃える為にグアダルーペ寺院を訪れ ます。

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